【1965】文鮮明先生、21年ぶりの来日

1965年1月、文先生は留学以来21年ぶりに来日されました。
日本を巡回され聖地を定めていくのが目的ですが、文先生は統一教会の兄弟姉妹との心情的な交流を何より大切にされました。教会員の多くは文先生に対して「偉大な師」であると同時に、「私のお父さん」という想いを抱いたといいます。

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同行した金永雲氏の挨拶:地理的には1時間半しかかからないのに、大先生(文先生)は、玄界灘を越えるのに5年間かかった、とおっしゃいました。皆様は、言葉の限界を越えて、先生の心情に触れるときに、泣かずにはいられないでしょう。





【1963- 】平和の天使・リトルエンジェルス

子ども達の汚れのない表情と明るい笑顔は、戦争を経た国の暗いイメージを一度に洗い流してしまいます。

文鮮明先生が1963年に創設された「リトルエンジェルス」は、65年米国公演を始め、今まで世界を駆け回って、韓国の美しい伝統を披露しています。英国王室に招待されて、エリザベス女王の前で公演をしたし米国独立2百周年行事に招待されて、ワシントン ケネディ センターに上がったりもしました。

リトルエンジェルス舞踊団の教育方針であり、彼らのモットーは「愛天・愛人・愛国」です。

米国ニクソン大統領の前で特別公演もしてソウルオリンピック文化芸術祝電(祝典)にも参加しました。 リトルエンジェルスはすでに世界的に名が知られた平和の文化使節です。しかし世界色々国に出て行って、韓国文化の優秀性を立証しながらも、リトルエンジェルスは一度も“コリア”を叫ばなかったです。

ところがリトル エンジェルスの踊りを見て拍手を送る人々胸中には“文化と伝統の国・韓国”とのイメージがはっきりと根をおろしました。そのような意味でリトルエンジェルスは他の誰より戦争で傷ついた韓国の傷を癒し、明るく美しい韓国として世界に広く知らしめ、愛国を実践したのです。

【1944-1945】恩讐、許しと祝福


1944年秋、文鮮明師は、韓国において、日本の警察から拘束されました。
「お前も共産党だろう。共産党のやつらの名前を全部吐け」(※)といって、
言葉で言い表せない残酷な拷問を繰り返したのです。

鋲を打った軍靴で体を容赦なく踏みつけ、無理矢理大量の水を飲ませ、さらに踏みつけ吐き出させる。。。 文先生はついに最後まで一人の名前を口にすることなく、拷問を耐え抜きました。

半死の状態で解放されたとき、拘束から4カ月が経ていました。
 



上記は、そのときのご心情を語られた言葉と、その後の行動を、イメージ映像をつけて紹介しています。イエス様は「汝の敵を愛せよ」と言われました。同じく、文先生は「怨讐を愛せよ」と言 われます。すさまじい基準です。
(自叙伝92-95ページに対応)

※文師は共産党員ではありません。日本留学中の同志の中に共産党員がいたので、文師は容疑をかけられ、そして彼らをかばったのです。



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